コロナ禍の為、施設入所している姉に会うことが出来ていない。オーナーである叔父や担当CMからは様子を聞くことが出来るのだが、直接、顔を見ることが出来ていない。市役所で2ヵ月前に会ったきりだ。
人は何のために生きているのか?今までの答えは、僕は姉と人生を伴走することが宿命であり、運命だと答えだろう。叔父のはからいで施設入所が決まった時に、僕の人生は達成されてしまった。やり残したことが無くなってしまった感覚だった。残りの人生がエクストラと感じてしまう程であった。誰かの為に生きる、誰かの為に働くと言うのは、人にとって目的や何かの羅針盤としてとても重要なのだと思う。
姉がいなければ、起業することも無かったし、絶体絶命の時に会社を畳むことを選択しただろう。姉がいてこそ、起業や事業継続が出来たのかも知れない。46年の人生の大半を占めていた姉のことや父のことが片付いた。事業も絞り収益化に向かって後は継続するのみとなった。残りの人生、楽しむだけの人生も悪くないが、性に合わない。外出が難しいこの時期に、誰の為に何のために生きていきたいのか、じっくりと考えてみたいと思う。